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映画・テレビ

2007年1月20日 (土)

「武士の一分」より問われる「生き方」

先日観た映画「武士の一分」より、
印象に残った言葉です。

盲目になってしまった主人公が、敵討ちのために、剣の師匠のもとをたずねるシーン。

勝ち目のない戦いだからあきらめろ、と師はさとし、なぜそんなことをしようとするのか、と問うたところ、「武士の一分としか申し上げられましね」との答えが返る。
映画ではこのときはじめてタイトルである「武士の一分」という言葉が出てくるグッとくるシーンだ。

そのあと師が言った言葉。

「もし、おまえに勝ち目があるとしたら、
相手に、生きることへの執着があって、
お前には、死ぬ覚悟ができているときだ。」

続くシーンで、

「『必死。』 すなわち、生くること」

と結ばれる。


私たちは、毎日、「倒すか倒されるか」の真剣勝負の戦いをしているわけではありませんが、日々、新しい限界に直面することがあると思います。
日々の自分と向き合う際、「死ぬ覚悟」までは意識しないでしょうし、そこまでの必要はない、とも考えられましょう。
けれども、私は、この言葉を聴いたとき、支払う「覚悟」なく、得たいものばかりを得ようとする「自分の甘さ」を問われているように、心の中に響きました。

(カギカッコの台詞部分は、私の記憶の限りで書いたものです。実際の台詞とは異なっているかもしれませんことをご了承ください。)


2006年12月24日 (日)

「武士の一分」観てきました。

よかった! ★★★★★

たっぷり色々書きたいところですが、時間がないのが残念です。

ひとこと、何がよかったかというと・・・それがまた難しいのですが、

「愛」が、にじみ出ていたところです。
夫婦愛はもちろん、色々な関係間の愛が、押し付けがましくなく
実に温かく描かれていて、それが心にジワジワしみ込んでいく音が聞こえそうな。

なにか、私たちの先走った気持ちを、ぐっと大切なもののあるところへ
引き戻してくれるような、「力」のある作品でした。

「武士の一分」の「一分」は、「1%」というふうにとらえていたのです
(武士のはしくれ、というか、盲目になっても残る部分とか、勝手に解釈してました)
が、1部800円もする読み応えあるパンフレットを読破してみると、
インタヴゥアが役者さんに、最後必ず「あなたの一分は?」とたずねるので、
この映画では、「面目」とか「職責」という意味あいのほうが強調されているのだな、
ということがわかりました。

「あなたの一分は」と問われる・・・
「あり方」「生き方」を問われる映画であるのだと思いました。

なにしろ、言うことなしに、おすすめです★★★★★

23歳の男性と一日デートし、ふたりで観てきました。
(ジョーダン。お相手は甥のA君23歳です)

2006年5月24日 (水)

映画「ダ・ヴィンチ・コード」 感想文

「ダ・ヴィンチ・コード」観てきました。
原作に忠実に、まじめに作られた作品という印象。
ヘンに脚色してウケを狙ったりしていないところは、原作にハマッた私としては評価は高いほう。
でも、映画が終わるなり、別のお客さんが「むずかしかった」と一言つぶやいていたのと、私の隣で、あくびをしたり何度か腕時計を見ていた主人の様子からすると、純粋に楽しむ映画とは違うんだろうな、という感想です。

キリスト教になじみのない人種からすれば、「イエス・キリストに実は妻も子どももいた」といっても、「ふぅーん」で終わってしまう物語なのかもしれませんが、欧米社会はキリスト教に関する歴史や背景は欠かせないわけで、それが覆されるような物語なのですから、単なるサスペンス以上の、そう、「最後の誘惑」や「パッション」に並ぶ、神への冒涜、歴史への挑戦とみなされる過激な作品ということなのでしょう。

私も以前、聖書を読んだとき、十字架に処刑された瀕死のキリストに水を飲ませたのが、母マリアでもなく、弟子たちでもない、「マグダラのマリア」という女性だったことには、「意外」と思った記憶があります。
以上、感想でした。