東日本大震災 心のケア(緊急寄稿)
東日本大震災 子どものための心のケア
(心理セラピスト リズ山崎)
大震災から3週間がたち、「心のケア」の必要性が語られています。
子どもたちに対しては、「だいじょうぶ」と言葉をかけるように、とのことですが、私には懸念があります。
それは、「だいじょうぶ」との外からの言葉がけによって、心の中にある「生の感情」を抑圧したり、否定したりすることにつながることがあるからです。長い目で見たら、それがかえって深刻な心の問題を招きかねないと思うからです。
もちろん、子どもたちに対して「だいじょうぶ」という方向に導くことは、当然のことであり、とても大切なことです。私自身、「だいじょうぶ」という言葉がけは長年提唱してきてもいます。
しかし、早期に子どもたちに「だいじょうぶ」としてしまうことで、その手前(内)にあるほんとうの感情を、「なかったことにする」ことを学習させてしまうことになりかねない。私の懸念はそこにあるのです。
そうならないようにすることのほうが長い目でみると、これからもずっと自分自身の心と向き合って付き合って生きていく子どもたちにとって(大人たちにとっても同様)大切なことだ、と私は思うからです。
体験したこと、あのとき目の前で起こったこと、見えたり聞こえたりしたことから、心がどう感じていたか、
「怖かったね~!」「すごく恐ろしかった~!」という感覚・感情というものを、どこかに取り残して、「だいじょうぶ」で覆いかぶせてしまうことになるなら、「あのときの恐怖」が感覚としてふっと蘇ったり襲ったりしてくることが大いに考えられます。
それは、かなり時間がたってから、ということもあります。
「だいじょうぶ」と言ってもらえることは、(臨床心理や精神医学では)「心の保証」といって大切な概念ではあります。
けれども、子どもたちは、「ということは、大人たちは、今私が(僕が)感じているようには感じていないのか」と受け取ります。(はっきりはそのように考えないかもしれませんが)
このようにして、心の内で、実は「だいじょうぶではない」感覚を感じている自分を否定しよう抑圧しようとしてしまいますと、それがかえって、悪夢や身体症状を引き起こしてしまうことにつながるのです。
私たち大人も経験していることと思いますが、「明るい子だと言われてきたけれど、心の内では人知れず悩んできた」「友達の前ではこういう自分を演じてきたけれど、ほんとうは・・・」ということなどがあります。
「こんなことで悩んだり怖がったりしているのは私だけなのではないか」と、押さえつけようとして、それがうまくいかないことをさらに悩んだり、自責したりしてしまうことは、私たちにもありがちなことではないでしょうか。
このような理由で、今、ただ「だいじょうぶ」と包んであげることが、必ずしもよい、あるいは現在適切な心のケアであるとは言い切れない、と私は考えるのです。
・・・・・
TVで子どもたちにコラージュ療法をしているのを見ました。
子どもたちは通常言語が発達していないので、絵画療法や箱庭療法などの遊戯療法を用いるケースが多く、これは深層心理の解放や表現によいと思います。(また早急に心のケアがなされていることには敬意を表します。心強いことであるともちろん思います。活動や方法を否定しているのではまったくありません。ただそれに加えて考えたいということで書かせていただいております。)
幼稚園児でさえ、「痛い」「悲しい」「怖い」「やだ」など感じたことは言語化できます。
その手助けをしてあげることが、この先、子どもたちが自分自身の心と向き合っていくにあたって、心と表現を結ぶにあたって大きな力(ある意味では教育)につながるのではないかと思うのです。
「○○になって、すごく怖かった」というふうに、なにしろ、今、この時期に(むしろ記憶が鮮明な時期に)、想起することを通して「怖かった」「怖かったね~!」「すごく驚いた」「びっくりしたね~」などの心、感情を、感じて(受容して)、それを口にしたり、みんなで叫んだりなどして、吐き出す(開放する)という場を作ってあげることは、心のケアとしては急務なのではないか、と、考えているところです。
・・・・・
今、被災地では、子どもたちにいち早く笑顔を取り戻してほしい、という気持ちが強いと思います。
けれども、それが表面的、一時的なものであってはならないと私には思えてなりません。
私は、トラウマ・セラピーなどの心理療法を行っていますが、(明るい人に限って、とは言いませんが)明るく元気にやってきた人が、あるときからパニック症状がでたり、同じ悪夢を繰り返し見たりということで、悩みだすということを見てきています。
私が行うトラウマ・セラピーの多くは成育歴のなかにあったものですが、たとえば父親が暴力的だったといった場合、そのときの恐怖を感じまい、思いだすまいと、「前向き」「プラス思考」などを駆使して社会生活を送ってきた。また、苦労している母親に心配かけないようにと、弱みを見せず適応的にやってきた。けれども、あるときから不安が襲って来たり、動悸や震えが止まらなくなってきた、というようなことがあります。
そういうときには、私は、「再体験」といい、「あのとき」を想起し、じゅうぶんに感情を受容し解放するということを行います。
クッションを激しく叩いたり、大声で泣き叫んだりすることも、稀ではありません。
それをすると、心の奥底でうずいていたエネルギー(感情)が解放されるので、日常で困っていたパニック感や震え、極度な緊張などといった波が引いてくるのです。
それなので私は「感情受容」を、長年唱えてきているのです。
こうした心のセラピーで、「だいじょうぶ」としてがんばることができてきた適応的な自分を緩めて、心を解放し、長年ほんとうに心の内にあった感情を受容してみると、そこには、「怖かった」「辛かった」「痛かった」「悲しかった」など、「あのとき」感じきることのできなかった感情を「迎えに行く」ことになるのです。
そう、迎えに行って、ポジティヴな方向へ導かれる以前の、あるがままの感情に共感する、ということが重要となります。
このようなセラピーを体験された方は、自分の中の自然な感情を、ここまで閉じ込めていたのか、と唖然とします。
ほんとうの気持ち、自然に生じる感情を、自然なものとして感じきるとか、受け止めるとか、解放する、してもいい、ということについて、一度も、どこでも「教えてもらったことがなかった」。
また、ポジティヴ思考で前向きに、とばかりやってきた、とみなさんおっしゃいます。
感情を自然なものとして受け入れるという方法や教育はこれまでなかったからなのだと思います。
・・・・・
それでも、このやりかたでは、子どもには酷なのではないか、との声も上がるかもしれませんが、それは大人が思うことであって、柔軟な子どもたちは、自然な感情を自然なものとして受け入れる力はじゅうぶんにあると私は思っています。
むしろ大人のほうに感情を吟味する「感情免疫力」がないがゆえに、子どもが怖がったり辛そうにしていたり、暗くなっている姿を見ることに耐えられない。がゆえに、、「だいじょうぶ」を押し付ける(大人にとって思い通りの感情や表れになる方向にコントロールしようとする)ということになる。そうはなってほしくないと強く思います。
すごく怖かったんだ、という心をそのまま感じ、子どもの年齢層にもよりますが、話し合ったり、叫んだり、身体で表現したりして、「受容」と「解放」を行うべきだと、私は私の経験から思うのです。
そうして、それから、「だいじょうぶ」につなげてあげるというプロセスを踏み、みずからつなげる心のルートを開通させてあげることができたらいいな、と思うのです。
「怖かった人、手あげて~!」と言ったら、子どもたちはみな、「はーい!」と手をあげることでしょう。
「だいじょうぶ」をあまり早期に教え込むことになるなら、「だいじょうぶ」と答えることが正しい答えなのだから、との思いから、そこで無邪気に純粋に「はーい!」と手をあげることにどこか躊躇してしまうことがあるかもしれない。
「だいじょうぶ」と感じる「べき」と、自然な感情を抑圧することがよいことと教えてしまう結果になるかもしれない。
「すごく怖かったね」とまずは共感をする。
「大人たちにとっても怖かった。それは自然で、それでいいんだよ。」
「そんな自分のお胸をよしよししてあげようね。」
「よしよし、だいじょうぶだからね、とね。」
「お友達や家族、先生たち、みんなで助け合ってやっていけばだいじょうぶ。」
「今から、これから、よくなるからね。よくなるようにやっていこうね。」
子どもたちひとりひとりが、自分自身にそう言ってあげられるようになれたらいいな、そういう自分になることができるよう手を引いて導いてあげることができたらいいな、と私は思うのです。
そうしたら、自然な感情は、エネルギーとなって、その子が生きる上での健全なパワーになります。
そうやって、自然な心を共感し、受容し、肯定的な土台としたうえで、そのエネルギーによって、「では自分には何ができるか」「したいか」考えられる心が育つならば、素敵なのではないかしらと思います。
そうやって、心を置き去りにせず、また犠牲にするでもなく、事実として経験したことを通して、子どもたちが将来に向けて、歩んでいくことにつながれば素敵なのではないかと思います。
小さな子は、お手伝いすることやお絵かきをプレゼントしようと、一生懸命に夢中になるかもしれません。
小学生や中学生は、将来の夢や目標に向けて、安心してスポーツや勉強に没頭することができるようになるかもしれません。
マイナス感情さえ自然で受容可能なものという安定感のもと、プラスに昇華させることができるようになることでしょう。(感情はプラスかマイナスかしかなく、どちらも自然なエネルギー)
心にどこか、「解放させてはならない何か」を閉じ込めて、その得体のしれないエネルギーが溢れてこないようにと、心に鍵をかけたり、無意識にブレーキをかけながら成長していくのではなく、溢れるエネルギーを、安心して感じきり、人生にぶつけていくことができます。
大人たちに心配させないように、外側では子どもらしく元気そうに振る舞いながら大人への階段をのぼっていくのではなく、矛盾のない自己一致感とともに、その子自身が、その子の人生で、「生の力」を発揮することができるようになります。
今、子どもたちには、思う存分、「怖かった」という自然な感情を感じさせてあげて、きちんと消化できるように、私たち大人は勇気と信頼と、そして愛情をもって、子どもたちを導いてあげるべきだと思えてなりません。
・・・・・
長くなりました。
なんらかの形で、この考え方が、東日本大震災の心のケアにあたる方への参考情報として伝わるとよいと思っています。
急いで書き、整わない文章ではありますが、みなさま、この文章を関連ネットワークやニュース番組HPなどへ、転送、転写、リンク等にご協力くださり、ひとつの考え方として広めてくださいますよう、よろしくお願いいたします。
愛をこめて
(心理セラピスト)リズ山崎
Love Always Lyzz
2011/4/2
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コメント
震災当日、私は旅先の東京にいたのですが、
激しい揺れや余震、動かない電車等にストレスを感じてか
一昨日まで外出する事が出来ませんでした。
(阪神大震災の頃を思い出して というのもあるかもしれません)
最近ようやく前向きな気持が持てる様になって来たのですが、
大人の私ですらこうなのですから
震源に近い所にいた子供達はどれだけ怖かったかと思います。
東日本ではまだ余震が続いている様ですし、大人も
特に避難所の方はストレスが溜まっているのではないでしょうか。
ストレスを解消する手段も少ないでしょうが、
こういう時こそがんばり過ぎないで!
被災地に今日のリズ先生のお心が少しでも伝わるようにと願っています。
投稿: iku | 2011年4月 2日 (土) 11:19
私もikuさんと同じで阪神大震災の事を常に考えています。
それでも私は被害が少ない地域にいましたが、あの頃は安易な『頑張って』という言葉が苦痛でした。
あと、私達の「被害状況」を見て『なあんだ、大したことないや』と言った「他県」から訪問して来てくれた「友達」とか……。
当時小学校に入ったばかりの子供は幸い本震の時は殆ど気付かなかったからかトラウマと言えるものは一切ないようですが、ある程度事態が落ちついてからやって来た母が迎えに出向いた彼を見るなり
「アンタ、怖かったでしょ~、ねえ、怖かったよねえ~!」
と周囲の視線もはばからず、且つしつこく大声で叫んだ方が違和感を持ったようです。
確かに『大丈夫』という言葉も危険ですね、特に子供には。
でも大人は『大丈夫』という言葉がありがたいと思います。
あと言葉として言って欲しいのは『私も(が)いるから』かな……。
投稿: リオ | 2011年4月 2日 (土) 13:19
リズ先生、いつもありがとうございます。子供達に一日でも早く笑顔と無邪気さがくる日を祈っております。私にできる事は少ししかありませんが、今日のエントリーを知人にメールで転送したり、FACEBOOK、ツイッターのようなものなどにUPしたいなと思います。被災した子供達だけでなく、誰にでも通用するメッセージですよね。今日は近くの公園でチャリティーお花見をしております。(^-^)/
投稿: ゆりっぺ | 2011年4月 2日 (土) 15:24
今日の記事、大変興味深く読ませていただきました。
人間の心理について、非常に分かりやすく説明されていて、さすがリズ先生はすごいです。
ふと自分のことを振り返ってみると、自分に対しても子供達にも「大丈夫」で片付けて、忘れよう、なかったことにしよう、とまでしていることに気付きました。東京なので、震度5弱でしたが、それでも生れて初めての大地震、2歳と5歳の子供達も泣いて、私も怖かったです。ということを、今思い出しました。
きっとこのように、いろんな怖かったこと、嫌だったことをすぐなかったことにする癖がついてるんだろうなぁ・・・。
被災地で心のケアに関わる皆様に、リズ先生のお考えが届きますように。
投稿: やすこ | 2011年4月 2日 (土) 23:05
先生覚えていらっしゃいますでしょうか?
私は、京都駅前でのセラピーを受け、息子が京都駅前の
病院で勤めていた母であると。
その後、酷い病院で うちの子の先輩が3人突然辞め
ウツに陥り自死しました。
うちの身内にはウツも自死者もいません。
私は打ちひしがれ、生きる屍となり、息をするタイミングも
忘れ、先生が提唱する“すべてはうまくいってます”意味も
うそ臭く感じ、私なりに感じ描いてたこともすべて失いました。
で、その後ここのブログを観る意味も理解出来ず、
“強く願っても地獄に突き落とされる”と苦々しく思いました。
意味があるってなに?
震災で命より大切な我が子を亡くし前向きになれる?
すべてに意味があるってなに?
じゃあ、あの子は死ぬ意味があって生まれてきたのか?
子を助ける思いが強く子の目の前で波に飲まれていく
母を見て、意味をみつけることができるのか!!!
震災を目の当りにする前から“無常”を知りました。
いかに平和な毎日を過ごすことが難しいことか。
私は、子を亡くす前から感謝をしていました。
しかし、いかに脆く思うように手にできないか・・・
この震災で私は被災者ではないのに苦しみ、ご飯を食べるのも
申し訳なく食べることも出来ませんでした。
でも、私の感傷的な感情なんてなんの役にも立たないと
思いなおし、しっかり食べて献血出来るぐらいまで身体を
整えようと、頑張って食べてます。
先生はすべてに関し“ポジティブ”に変換してるのかなと
私はそう感じまして、しんどかったです。
マイナスの、しかも・・・かなりのマイナスの感情も
うまくいくなんて、なに?
って思ってました。
でも、このコメントは私はストンと納得しています。
私は私なりに出来ることをこなします。
私も“頑張れ”コールは嫌いです。
頑張れない人に感情を封じ込め、隠し、表面上
取り繕ってもなんの心の解決にはなりません。
返って心の病を引き起こします。
今日の先生のコメントは支持致します。
私は、息子のウツの原因を究明すべく労災認定を頑張ります。
弁護団を組んでもらい闘います。
先生、私は“ポジティブ”に関してアレルギーが起こり
避けてきました。
根拠なきポジティブは、返って人を傷つけます。
そう思えない自分、そう思えない環境、すべて・・・
自分を否定してしまいます。
人の生死があると、かなり繊細な話になります。
先生は人の機微が理解してくださってると信じ
また拝見させていただきます。
投稿: tama | 2011年4月 3日 (日) 00:26
リズ先生、みなさま おはようございます
リズ先生、“先生のメッセージ”私なりに広げていきます。
私もポジティブに嫌な気持ちを押し込めて生きてきた一人です。
嫌な気持ちを表すことは、わがままだと云われ怒られました。
私もそう思っていましたし、そんなことをしても、誰もわかってくれない。なら、見ないふり、感じないふり!!
そんなポジティブの中、生きてきました。
でも先生の本に出合って、嫌な気持ちこそ感じる力を付けていく、感情免疫力という言葉を知り、目からうろこの大衝撃を受けたのを、今でもよく覚えています。
今、このメッセージを必要とする多くの方の心へ、子供達の周りにいる方々へ届き、怖かった思いの受容=解放が出来ますように
そして、そのお心で『生』へのエネルギーを輝かせられますように
☆ikuさん、リオさん、コメントありがとうございます
阪神大震災を思い出すとのこと、同感です。
余震も続き、ストレス・不安も体に溜まっていますね。
ご自身のその気持ちに寄り添い、その感情を感じながら、深呼吸と共に解放していきましょう
☆ゆりっぺさん コメントありがとうございます
お花見はいかがでしたか?厳しい冬を越し、咲いてくれた桜たちです。喜びと共に、見てくれる方がいると嬉しいでしょうね

私も時間を作って、春を喜びに桜に会いにいきたいと思います
☆やすこさん、コメントありがとうございます
大丈夫の言葉の前の受容の大切さ、身に染みますね。やすこさんがその事実を認識していただくと、お子さん達の安心の笑顔をサポートできる力となりますね

春の日差しのもと、お子様達と穏やかにすごせますように
☆tamaさん、想いをシェアいただきありがとうございます
tamaさんの中にある感情、すべて自然なことだと思います。
その中で、このメッセージがストンと落ちてきた・・・それが、tamaさんに必要な力ともなるのではないでしょうか?
tamaさんのお心が柔らかい笑顔に包まれること、祈っています
投稿: 管理人:みみ♪ | 2011年4月 3日 (日) 12:50
tamaさんの投稿を読んで胸が刺さる様に痛み、涙が暫く止まりませんでした。とても近い身内が同じ様な死にあい、悲しい辛い思いを長い間しましたので少しはお気持ちがわかるかもしれません。そんな辛さの中のtamaさんが向き合おうとしている事自体すごくエネルギーを要するのだと思います。tamaさんや被災者の皆様のお気持ちやお痛みが少しでも和らぐ事を心よりお祈りします。そして私にできる事は少しはある筈なので、自分なりに何が出来るか考えてみます。This too shall pass.
投稿: ゆりっぺ | 2011年4月 4日 (月) 00:00
■みなさま、いつもコメントありがとうございます。
すべてがみなさまおひさりおひとりにとって最前最高に守られ導かれますように。
Love Always
■tamaさん
京都でお会いしたこと覚えております。
なんということが…
言葉など意味がない…というほどの出来事、ご心痛であられることと思います。
心よりお慰め申し上げます。
ポジティヴに対するアレルギー、よくわかります。
労災認定されるに違いありません。
陰ながら応援させていただきます。
しっかり食べてお元気にいらしてくださいませ。
投稿: ★リズ山崎 | 2011年4月 4日 (月) 08:16
おはようございます。
共感すること‥
トラウマセラピーのこと‥
凄く分かりやすくかかれてました。
又々、私事ですが、ごめんなさいm(__)m
友達のメアドが変わったり
連絡が途絶えた時。
仲良くさせて頂いてた方のブログが急に閉鎖された時。
怖くて‥寒くて‥
唇が青くなり歯がガタガタと音をたて体が寒くて寒くて凍えるよう震えます。
夢か現実か‥
幼いころ母と姉とかくれんぼをしていて
母と姉が私を置き去りにし泣いてる私を車の影から2人で笑っている‥。
そんな記憶があるんです。
幼いころから父の許可がなくては叱られる。
何をするにも許可がいる。
犬が苦しそうにしてても父の許可がなければ水を与えられない。叱られる。
教科書にハートマークを書いていたら
「ハートマークは嫌いだ」と叱られる。
悪いことをすると見捨てられる感覚。
自分のしたいことでも許可がないと出来ない。
どうか私みたいな子供を作らないでください。
あなたが怖いと思ったならそれでいい。
あなたがしたいと思うならすればいい。
大丈夫だよ!の言葉より
あなたのままでいい!
そう言われたい。
受け入れることで
光を放つ気がするんです。
投稿: ベッキー | 2011年4月 4日 (月) 10:14
ベッキーさん、コメントありがとうございます
私には、母に置き去りにされてしまったという気持ちになってしまった記憶が
ありました。
母に愛されていない想いがありました。
父に用意したバレンタインチョコレートは、ここは日本だと言って受け取ってもらえなかった
ことがあります。
私の育った環境は、祖母が強すぎました。
自身の表面でこういった感情があると理解していたもの、知らず知らずに
自分の行動パターンになっていたもの、いろいろありました。
現在も進行中ですが、セラピーによって解放されています。
もしすでにされていたり、検討違いなコメントだったら申し訳ございません。
どうかおひとりで苦しまないでください。
もしおひとりで悩まれているのなら、どなたかの手をお借りすることは決して悪いことでは
ありません。
セッションやワークショップなども利用してください。
いつでもお待ちしています
投稿: 管理人:るる♪ | 2011年4月 6日 (水) 10:45
リズ先生こんにちは。
いつも読み組みでしたが、今日は書かせてもらいます。
今日の記事の内容、とてもその通りだとおもいます。
私もずっと生きることが辛く、自己啓発本のようなものばかりよみあさっていました。
でも、リズ先生の本に出会って、本当の意味で、自分が変われました。
人生ってこんなに楽しいんだ。生きるってこんなにすばらしいんだって今は心から思えます。
負の感情も正の感情もどちらも大切な自然な感情です。
そのことを教えて下さったリズ先生のことを、私は勝手に「心の志」と思っています。
いつかどんな形になるかはわかりませんが、お会いできることを楽しみにしています。
投稿: きゃめる | 2011年4月18日 (月) 19:16