昨日の「葛藤」についての記事の続きになります。
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葛藤は、両輪あるから起こるもの。
右の車輪に傾いたり、左の車輪に傾いたり・・・
でも、それがいやだからと、一輪を好むかというと、それも不安定な印象
ならば、ぶっとい一輪ならばどうでしょう
葛藤は、あるもの、自然なものと述べました。
葛藤は苦しいですが、葛藤から学びます。
自分自身を学び取るのです。
自分と他者、自我と魂、執着と離脱などの間での葛藤を通して、自己統合の術を学ぶのです。
そうして、自己一致がなされるから「ほんとうの自分」「迷いない自分」へと成長する、ひとつの太い車輪が出来上がってくる。
葛藤をただマズイものとして逃げたり、消そうとしたりしているだけでは、苦しいままですし、学びも統合も成長もありません。
≪いつまでも苦しむのが「人間だもの」≫
このような言葉は、いかにも人間味があります。
やさしげな、あたたかい言葉です。
とくに、どうにかしようと思いつつここまで来て(老いて)しまった後悔に苦しんでいる人には、救いでさえあるかもしれません。
しかし、私は、年老いて、なお激しく触れる葛藤のなかで苦しんでいたくはありません。
格好よくないし、哀れだと思うのです。
若い方々にはとくに、最終的に「人間だもの」に救われるような大人になる必要はないということをお伝えしたいです。
ただ、自己統合を果たすその術を知らず、またうすうす何かしなければと思いつつ、ままならず自己統合できないまま年老いていく大人が多かったのではないかと思います。
だから、実際、哀れだということは、本人が一番よく知っていたりもする。そして、それは肯定しがたい苦痛でもある。
だからこそ、≪「人間だもの」≫との言葉に甘い輝きを見出すわけです。
この言葉に、誰も彼もが飛びつきました。
(相田みつおさんの「人間だもの」が爆発的に流行しました・流行ったということは支持されたということ・それだけ思いを同じくする人口が多いということでしょう・私はこの言葉を否定しているわけではもちろんありません・むしろ、いつも私が表現するところの「心の土台」の部分で強力な言葉だと思います)
軸が通っているとか、軸がぶれないとよく表現されますが、やはり年を重ねるということは、「この自分」という軸が定まっていくことなのだと思うのです。
ですから、その意味で、しっかり味わう覚悟で、葛藤の中に入り込んでやりましょう、と提唱しているのです。
私は40代で、ものすごく「らく」になりました。
葛藤が減っていったからでしょう。統合がなされはじめたからでしょう。
あるとき、ふと、そう感じ取る瞬間がありました。
そのとき、「年を重ねるとはこういうことか」とひとり心のうちで、ずいぶん感動したものです。
そう思うと、30代はまだまだ、自分を知る時期だったように思います。
ほんとうの自分になる、魂で生きる
これを目指すならば、両者統合できる葛藤の仕方、悩み方、解決法をしっかりすることが大切だと思います。
上手に生きる、うまく生きることができるようになる、とは、そういうことでもあると思ってみるのです。
自分という片側の車輪
常識や良識、他者や他の価値観というもう一方の車輪
両車輪の幅を近づける方向に、葛藤し悩み考える
両車輪が近づいてきたら、一輪に交わらせる方向に、さらに葛藤し考える
やがて知らないうちに交わっていることに気づく
交わったなら、その一輪は太く、より安定した不動のものとなる
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葛藤できるバイタリティーのあるうちに、たっぷり悩んでできるところまで、自己統合していきましょう。
疲れたとき一休みしたいときは、「人間だもの♪」でいきましょう。
やっぱり私はここまでよ、とほんとうにあきらめるようなことがあったら、それはそれでまた、やるだけやったし、「人間だもの♪」でいけばいい。
と、こんな心の土台をすえていきましょう!
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今日は、私の深部で語りました。
私もみなさまとご一緒に進化しています。
このブログも進化していると考えてください。
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みなさん、心の中に唯一その時々正しい答えがあります。
心身の中心、深部の闇に光る石を見出してください。