「自己否定」と「要求水準」
自分のことが好きではないとか、こんな自分ではダメなのではと落ち込むことが多いという「自己否定」の傾向が強い人のほとんどは、「要求水準」が高いものです。
人からは多くを「要求されているように」とらえがちですし、自分自身にも絶えず「高い要求」をしています。
これは、子ども時代からの親の言動などから、非意識での長年の習慣となっているので、本人もあまり自覚していないことが多いです。(サラージ・メソッドでは、気づこうとすれば気づくことのできる意識領域のことを「無意識」とは呼ばず、「非意識」と呼んでいます)
ですから、何を見ても何を聞いても、人からは暗に多くを求められているというふうに「とらえて」しまいますし、自分自身でも知らないうちに「でも・まだ・もっと」と、自分にムチ打ってしまうことが多いのです。
サラージ・メソッドでは、(著書の中にも書いていますが)「受・想・行・識」といい、外部からの情報を受け取る(受)のあと、自動的に「どうとらえるか(想)」を通して、さらなる考えや行動に発展する(行)。
そして、その結果(よかった・悪かった・いい気分・嫌な気分などの)認識に至ると解説しています。
つまり、すべては、「自分というフィルター(想)」を通してなされている。
もともと要求水準が高い人は、何を見ても、自分が何をしても、時にはじゅうぶん評価されていても「ダメ」としてしまい、結果、落ち込むなどのネガティヴ・フィーリングに至っていることがほとんどで、ここが大きなポイント。
自分というフィルター「とらえかた」を通して、物事を見たり判断したりして動いている部分がポイントという見方です。
ということは・・・
「要求水準を下げる」
ファースト・ステップでは、「気づき」を課題にします。
たとえば、日常、急ぐ必要のないところでいつも自分を急かしていないか、要求されていないことを要求されているようにとらえて動こうとしてはいないか、また「じゅうぶん」と思うかわりにみずからダメ出しばかりしてイライラしてはいないか、というようなところに注意し、みずからの非意識の要求水準というものに気づくようにします。
セカンド・ステップでは、「深呼吸と言葉がけ」の実践です。
日常に「深呼吸」を取り入れることで、自分の心の状態を意識しやすくなりますので、自分に多くを期待しすぎて、「イライラしそうになってる」「落ち込みそうになってる」そんな瞬間を感じとらえたら、そこで言葉がけ。
「だいじょうぶ」
「じゅうぶん、じゅうぶん」
「安心して、ゆっくりやっていいよ」
「休み休みやればいいんだよ」
など、自分自身に、安心を与えたり、
「すごくいい。その調子」
「それでいいよ。とってもよくできた」
など、自分をよく褒めて、自己評価を高めましょう。
これらは、「自分を愛する」「自分をゆるす」ことの具体的な実践です。
「鏡の法則」とか「投影」などと言われるように、
実のところ、自分が自身に対して思っていることが、「人からも思われている」との確信となることが多いですから、自分自身への要求水準をやさしいものにして、自分自身を責め立てないように習慣づけていきましょう。
そうすると、あら不思議。これまで、多くを要求されていたように感じられた周囲の人が優しくなったようにさえ感じられたり、実際にねぎらいの言葉をかけてくれたりするようになるものなのです。
また、これには、オマケもついてきます。
自分自身が落ち込むことの多い人は、気持ちの上で被害的になりやすいのですが、そのもとが要求水準の高さにありますから、実のところそのぶん、人に対しても採点が厳しかったり、期待が強かったり、心の中での批判が強くなったりすることが多いのです。
これは、必ず他者へ表すとは限りません。ひとによっては、身近な人にはやたら攻撃的になりますし、気の弱い人の場合は表現はせず、心の中で悶々と、自分を責めるように他者をも責めているということをしています。
自分への要求水準を下げ、自分をゆるし、自分やさしくでき、愛してあげることができるようになると、心の中での人への要求や期待、批判というものも、すーっと引いてくる。
その結果、人様のことも、より尊重することができ、人間関係がよくなるのです。
つまり、「自分自身」「人から自分へ」「自分から人へ」この三角形の三辺が、同時により愛情深い正三角形となっていくわけです。
愛のあるところには、可能性のエネルギーもたくさん広がるものです。
これが、私が常に言っているところの
「自分が変わればすべてが変わる」の法則です。




















越後屋さんで初めてもつ鍋をいたきました。
